神様の、お言葉は短く、初めての方には理解し難い所は、カッコ(補足)にて補足、注釈を書き足しました。
何が正しく、何が間違った心?
2013年1月
「あなたは何が正しく、何が間違った心と判断できますか。?」
私達が生きていく社会にも隣近所の人々と宗教の違い、信心の違いで、こころ悩まされることが多々起こります、本来信心とは自身の心を正し、生きる為の心の持ち方です、それを自身の意志で学ぶところが宗教であるはずですが、人間の心至らず、昔から今の世も 宗教の争いが絶えず、その中での人間関係に悩み心患されることを見かける団体も見かけます、人間として本来のあるべき信心とはいかなるものと心得ますか?。
以前、某宗教団体〇〇〇会に入信していた主婦が お伺いに見えました。
「他人とのお付き合いが上手くいかなく、数十年前に知人を傷つけてしまい、自責の念にかられています。 それ以来、他人がどうのこうの思っているのではないかと気になり、人間関係が上手く行きません」と神様にお伺い申し上げました。
神様
「そなたの性格は一つ一つある事に全てを心の中へと、胸の内へ押し込み、そしてその時々相手に表と裏の顔を見せて、良きに渡り続けしことにより、我の胸の中は耐えられのうなって、そなたの意志とは関係なく吐き出してしもうた。 じゃがそれは、そのようなることになる前に、はっきりといたすこと、消しておかねばならぬこと。 隣人、そして家々の様々なる出来事に対し話はいたすが、特別なる考えを持つ、信心とは程遠き者に足を踏み入れることは、わが家にても許されぬこととしっかりと話すべきであった。 (そなたは)それを申してしもうたら、もう二度と我とは付きおうてもらえぬ子たちのことを考えたり(するが)、そのようなる者と付き合わずとも良いではないか。
(相手に)悪しきこと申すまで辛抱いたすから、かえってことが大きくなった。
ましてや、この宗教は様々な 所へとはびこる。 大きな人々を囲い、金を巻き上げ し、そしてそのことすらも我は騙されておること知らずして、どこの信心のいたす者が新聞を取り、他にも勧める。 そして、(講員に)我の信心なる者(信者を)何人入れよと申す宗教なぞはないのじゃ。
今そなたは、我(神)の前へと来ることになり、信心の違いをよくよく噛み締め、真なる信心とは我の心が裕福なるもの、そして何よりもわが家の温かきもの(家庭が心温かくなるもの)、心の気配り、温かさが出てまいるもの。 それが揃うて己が変わり、他(の者)もそなたが放つ、身より放つオーラなるものに気づくのじゃ。
そなたの側に(おる)、心より真のこと知りとう、真の信心を心掛けとう思う者に悪なるもの(邪心はなく)、我が常に穏やかなれば、他の者に対しても怒りや、憎しみや、まして己が思うほどの良きように見える作りことなぞせずとも、皆が羨むようなる家族へと変わり行く。 何も心の中にて苦しむものなぞはない。 ただそなたのするべき事が間違っておっただけのこと。
これよりは、そなたの持つ正しき心、清らかさと、温かき優しさを持つ信心なる心を常に身にまとうことによりて全て変わる。 丸く丸く収まり行く。 そなたが思うほど、そなたに対し他の者は気にかけるような人間なぞおらぬ。 わが事だけで、それで精一杯なのじゃ。 そなたが優しき心になってまいったことは、共におる者、夫とて誠(に)心より喜びおることであろう。 なお一層の信心に対する心を教え導きいただきおられんこと、我はこの世の何者にも勝る幸せものと思うことことじゃ。 そなたには、われ大神と共に神子、そして御仏の元、大師が常についておること。 また、よく心を大きく広げ、勇気を持って我の生き方を変えてまいる努力をいたすのじゃ。 さすれば己は、何者も恐れぬ喜びを掴むことできよう」
あとがき
世間は人と人との交わりで成り立っております。 自身が心の持ち方を正し、他を思いやりの心を持てば相思相愛にもなれますし、人を癒すこともできます。 しかし、自身の事を優先する心で居ると、一つ間違えば争い事になり、今も宗教の違いで、どこかで戦争を起こして、人を傷つけることにもなります。 いずれにしても他人を思いやる心と、己の心をしっかりと持てるよう努力したいものです。
神様に自身がお伺いしたい方は相談室よりお問合せ下さい。
「あなたは自分の生き方を自身で決めていますか?
他人に自分の思いを強要してませんか?」
2013年10月 お伺い
某宗教の信者である両親の息子さんがお伺いに見えました。「両親すすめにより某宗教のご本尊と仏壇をいただきました。いずれ、わが家に神棚を祀りたいと思っているのですが、両親から強引にまつらされたご本尊と仏壇はどのようにすれば良いのでしょうか?」と神様にお伺い申し上げました。
この世に生を受けた自然界にての、親子、兄弟の基本的考えからお教え下さる。
神様 「そなた(がこの世で)生を受けし所(生家)、それはただただ、その場へと共の所へと(親子として)集まりしこと。(それゆえ)情も移る。そしてまた、親と子の絆が深くなる。じゃが、元を正していかば、(家族は)なんの縁もなき者たち。始めに神が御魂を入れし者を先に落としたる父、そしてその後、御魂を入れ、また(修)行をすべく今生へ落としたる母、その元へと我が御魂を授けしそなたの兄弟、そしてそなたも同じゅう所へと御魂は神が授けた。
じゃが、父と母とでこの御魂を包みし皮(身体)を作りあげた、だけのこと。この身、この指すべて、単なる着る物と同じゅうこと。じゃによって、父母が考えしことと同じゅう考えをいたさねばならぬということは、あろうはずがない」
(注釈) 神様から見れば一つ一つの 御魂でありますが、人間として は、この世に生を受けた時から血 縁関係が生じます。親子の間に絆や愛情があるとしても、元々一つの御魂なので、大人になれば血縁関係とか古い風習に囚われることなく、己の信じる正しい道を歩むことが今生での修行ではないでしょうか。
続き神様より
「我の御魂をもちて今生を生き抜くに、いかに悪しきもの(に)穢されずに、我を強く清く気高く、正しき心にて人生を)やり遂げしことは、そなたの代わりはいたすことはなかろう(自身を幸せにするは自身の心の持ち方、他人がしてくれるものではない)。そなたのことはそなたで決め、そなた一人で歩まねばならぬ。その折りに神と縁を結びし者(神が見守る)、神は(信心の心持たぬ者をも)神から(人間を)救おうとは思わぬ。じゃが、悪をはね除け、懸命に生きながら、わずかなることに苦しむこと、神に手を差し伸べし者には救いなる手を授ける。神の力を得た者は、なんの悪にも負けることはない。己の力にて全てを勝ち取り、越えられぬ山あられば静かに砕き、砕き、わずかでも砕きながら通る道を作る」
仏教では輪廻転生という教えがあります。神様に御魂を授けていただき、人間はこの世に生まれます。そして、修行の場であるこの世で自らを磨き高めたあと成仏して、あの世の仏界へと御魂だけが行きます。そこで今生での穢れを取り去り、如来様の天界へと導かれ、再び神様の命によりこの世に生を授けていただくまで待ちます。この世での修行の場においては我と神様であり、家族と言えども伴走も代走も任せることはできません。全て一人で歩まねばならぬ道です。
続き神様より
「我の人生は、他の者の人生とは違う。よって、押しつけられしものではない。我が全てを決め、我が間違いなく歩ける道を進むが(よい)。 そなたには、始めは何のことかを知る由もなく育ち、大きくなるに従い、わが母父を(母父が)何をいたしておるか疑問さえも感ずることなかったであろう。 それほど信心と申すは、恐ろしきものだ。我が、悪しきことを教えし者の言うことが、我の心に留まりて、これは我が神に願われてさせられることと思うこと、そのようなる心を持ってしもうたなら、もう全ては我のもの(人生)とは違うこととなる。よくよくそなたの目で確かめられ、何が正しきことか、何が我にとりて一番に重要なる考えを与えてくれるものかを(見極め、それを)信ずることができたなら、正しき心にて清きし者にて素晴らしき人生を遂げることとなろう。
今生におりては、神が(自然界全て)全てじゃ 神に願うことが、我が懸命なる努力を重ね、懸命なる生き方をいたし、神を信ずる者が神を必要とあらば、初めて神の手がそなたを救い出すこととなる。そのために在りし神のおりし所、神界と申す所、(そこに)神はおりても、それをそなたへと(神の神意を)伝えることできなば、なんの意もなく、そのためこのようなる生まれし時より神の力を与えし神子を落としておく。神と神子とは、救いをいたす時、様々なることがある時、それを越える時、一つのものとなり全てを無にいたす。 我が無になった時、初めて喜びというものを感ずることができ(る)」
知らずして悪しきことを教えられ、そのまま導かれて行く者と、己が信じる教えが正しいと思い、邪魔立てされてもその心を貫く人の違いは、どこにあるのでしょうか。正しい心の持ち方、信心を見極める力を持ちたいものです。
正しいく生きる道を歩むことができるということは、自身で決めることでしょう。
続き神様より
「父母なるを見下すことはせずともよい。それはそれとて、そのことは(両親は自分たちの宗教が)一番に良きことと思いしこと。なれど我は、そのことを疑問に思いし。思うた時は、正しきことをいたすだけ。申しておく。なんのこともなく、何の意もなく、ただ(長いこと)続け(て人を)集め、金の集まる所を作りしもの(宗教団体)と、誠なる心を高め、清めて行くものの違いを同じゅうことと考えるは、真あろうはずがない。そなたは、それに気付きし。これから後でも、まだまだ遅くはない。しかと我(神)の(正しく見極める)力を受けて行かれよ。それにより、そなたも、そなたの妻も、そなたの子も、今とは違う大きなる喜びなる日々を与えられることとなる。ただし、我(己)の心が中途半端な思いで神を祀りしことは、それだけのもの(喜び)しか我の手にはできぬ」
何が正しいか、間違いかを己で見極める力を持つことが大事であると教えていただきました。
続き神様より
「日本国という所、始まりから神の国といたし生まれたること。 心の奥の奥まで刻みおくこと、忘れぬよういたすがよい。信心の違いによりて親子の間で揉め事があったとて、それは母なるの信心というものが如何なるものか、我の信心はこのようなる(ものであると)全てのことを話しそれによりて我は我として生きること。じゃが、相手の為すことを邪魔立ていたすことはいたさぬ、それゆえ我の信心にも口出し、邪魔立てをいたしてもろうことならぬと申し、しかとした心構えを話されよ。我の信ずるもの全てが(他人の考え方に)巻き込まれて行くことは、良きことではない。一人一人が我の生き方によりて選ぶものである。正義をかざし生きて行く者なれば、しかとした神のみを受けて行かれるがよい」
大人になるに連れて親の
良き所は見習い、悪しき所は
反面教師として学び、自分の信念を
形成し、確固たるものにしていくことが大切だと思います。善悪を見極める力を持ち、清く正しい心の持ち方に努めたいものです。
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