2002年1月 たより
茨 城 県 に 住 む 信 徒 が 、 注 文 住 宅 を 造 ろ う と 思 い 、 家 相 の 相 談 で 、 お 伺 い に 見 え ま し た 。 図 面 を 見 る と い ろ い ろ と 問 題 が あ り 、 こ の 奥 様 の 希 望 の 今 流 行 の ダ イ ニ ン グ と キ ッ チ ン の 対 面 方 式 の 流 し 台 で し た が 、 ち ょ う ど そ こ が 鬼 門 に 当 た り ま す 。 人 間 の 希 望 と 良 い 家 相 が 合 致 し ま せ ん 。 又 将 来 の た め 、 最 初 か ら 大 き い 家 に す る か ? 、 人 間 の 希 望 と 予 算 も あ り ま す 。 ど の よ う に す る の が 良 い の で し ょ う か 、 と い う お 伺 い で し た 。 御 神 勅 「 先 ず 、 家 は 後 で 増 築 す る よ り 、 始 め よ り 設 計 さ れ よ 。 増 築 い た さ ば 、 後 に 建 て た と こ ろ に 僅 か な 歪 が 出 て ま い る 。 始 め よ り 大 き く 建 て れ ば 子 が 集 ま る 。 広 き と こ ろ か 、 そ れ で も 狭 も う 感 じ る よ う に な る 。 に ぎ や か に 、 楽 し げ な 日 々 と な ろ う 。 ま た 勝 手 の 方 ( 台 所 ) は 悪 気 の 強 き と こ ろ 、 不 浄 な る 物 流 し て は な ら ぬ 。 避 け よ 、 そ れ 故 悪 気 の 出 る 場 所 は 物 を 置 か ず 空 間 に い た せ 。 さ す れ ば 差 し 障 り は 出 ぬ 。 良 き 所 と な ら ば 、 全 て を 浄 化 い た す 。 家 族 離 れ ず 、 皆 繋 ぎ お っ て 良 き 住 ま い と な ろ う 。 井 戸 の 位 置 、 良 く も な く 悪 く も な い 、 そ の 場 � よ り 他 に 井 戸 を 持 つ と こ ろ は 出 来 ぬ 。 井 戸 の 中 を 清 め し 、 清 ら か な る 湧 き 水 が 出 る 。 日 々 清 め よ 。 忘 れ て は な ら ぬ 。 日 々 清 め る こ と に よ り 良 い 水 が 湧 く 。 こ の 者 達 ま だ 信 心 浅 く 心 よ り 深 め て い く こ と に よ り 、 自 ず と 皆 々 加 護 を 受 け る 。 い ま 少 し 大 き な 物 を な す に よ り 一 つ に な り 神 の 力 を 信 じ 守 り 抜 く こ と 、 日 々 己 を 清 め る こ と 、 心 新 た に い た せ 。 大 き な 病 も 致 さ ず 仲 良 う 暮 ら せ る 」 こ の 御 神 勅 は 神 様 が こ の 富 田 様 家 族 の 将 来 を
2002年12月
吉沢大介の前生
神様
「よく行を重ねた。心一つになり、聞くが良い。そなたの前生、天皇家に仕える僧、その僧の弟子。心清き者、そして、天皇が亡くなりし時、我は世の人の荒れ狂う世の中を見出した。その目の前に在りしは親鸞。我は親鸞と共に国々を回り、そして、ある時、一人の幼子、大木の下に挟まれし、それを救うが為、我が身を落とした。真、心気高き、正しき世を見る目を持つ若き、美しゅう、今生から落とすには惜しき僧であった。
そなたが様々なる気を感じ取り、また時々、悩まされる事、恐れる事はない。その前生なる僧の持つ力、そなたを守り行く為のもの。これより前生なる僧より受けし徳を磨かれよ」
各人、それなりの徳を持つから天神教と云う信心の場へ導かれました。そこで、己を磨くか、前生の徳を食い潰すか、各人それぞれの心。神様、御仏様は己を磨き、徳を積めるチャンスを与える為、今生にまた生を与えました。そして、「天神教の信心」は各人が己を磨き、己自身に気を付けさせる為のヒントです。
八月三十一日
御大師様
「静かな何もかも、何の騒ぎも。心一つになり、神様、仏様、通ずる参りを出来るは大師の長き願望であった。皆それぞれの様々なる思いを持ちて、ここに集まり、そして、それを願う。それは無心なる心を持つ信心ではなく、念の入りし邪心じゃ。皆、それを良き事と思い、このままでは真なる信心をする者、この様な日々、神様、大師、そして、御仏様に手を深く合わせ参るは、我が心常に邪心を持たぬ。正しく、美しく、そして、強く願う事、それを聞き入れるは真なる心を持つ者のみ。多勢集まろうが心の中に欲絶えず、邪念を持つ者、どの様に参ろうと聞き入れる事はならぬ。大師はのう、全て清らかになり、これより集まりし者達、それによって進む者達、一から始める事、喜びと思う。一つの宗教であったもの終わり、新しく神の教え、大師からの心構えと致し、真の信心を解りやすく説いた。それを元に、誰でもが努力致せば、その心持つ事出来、全ての信心なるもの、究極なる奥底まで集中致した事が皆に出来る。静かに時を待つ正しき者は必ず、正しき心の集まりの場へ向いて参る。静かなる、穏やかなる温かき心忘れず、人々を迎え入れよ。そして、少しずつ真なる教えを通して行くのじゃ。悪しき者はこの聖なる地入れず、必ずや救われてしまう。清き御仏様が御霊へ、強き神様へ参られよ」
天神教の信徒に真の幸せを掴む、深い信心の場にさせて頂けますよう努力をさせて頂きます、と心新たに致しました。
十一月九日。大祭前夜
お祭り前夜、ご奉仕の為、ご修行の為に集った人々に御大師様より次の様なお言葉を下さいました。
神様
「一人一人、神は見届けた。よく曲がらずに、己の地を見つめ進み、神の申す事、全てとどこうりなく一年を迎える。申した通り、地はほぼ固まりつつある。和やかなる、穏やかなる、そして、厳粛なる、皆に温かさを教えられる人間と致し生まれた。一番の何が大事か、神はそなた方が何を主に致す事迷うておる。それ故、信心なる心構え、この信心に付き、どの宗教であろうが、これをやり遂げられる。宗教は神を祭りし所、見出せぬまま消滅致してしまう。じゃによって、そなた方には消滅致す訳にはいかぬゆえ、神が申した、次に大師が御仏なる心構えを申し聞かせた。その心二つ合わせて続く宗教の場に致す為、これよりは人の幸せを願う事の出来る我が為の欲で働かぬ誠実さを持ち、温かき心を持ち、救い、そして、救い上げ行かば、この信心の場は永遠と続く場となろう。一年を通して、目まぐるしく忙しく日々を送られた。じゃが、時期は逃さぬ方が良い。皆がまだ目を向けてる時の方が解り易い。じゃによって、神はそなた方に競い苦しみ(の思いをしただろうが)、新しき、清らかなそなた方が前の宗教とは打って変わっての掌を返すような事になろうが、進めた事じゃ。よくここまで力を抜かずやり遂げた。じゃが、これからも手を抜くな。神はまだまだ広める、深める。神を信じ、神の言葉に付いて参れ。確かなるもの掴む事、可能となる」
御大師様
「いよいよ明日は一年に一度の大きな祭り。様々な人間がより集まる。未だ信心の心を持たぬ解らぬ者、半数以上。ただ信心致す者、なぜか己の心を引き付け、その言葉に縋り付けば心が安堵致す。それぐらいのものを持ちおる者達、一年掛かり、少しずつ解りかけて来た者達、また一年、真なるもの教え導き、人間とは一度で頭の中へ、我が身の中へ、それが身となる事は無いのじゃ。 致し、この事を致しておれば、我が身が救われる、その程度の者。じゃが、邪念を持ち、悪気を持ち、汚し者とは数倍も良き者と導かねばならぬ。じゃが、この一年は真、疲れが出たであろう。この一年ほどの変わり方、これからは辛うなって参る。しかと、我が身も質す事、忘れぬよう心掛けられよ」
親鸞様
「私共の生きて人々に当たりし時世は、今、世界で己が正しい、己の宗教が正しいと戦争になり、相手を憎み、相手を裏切り、果てはまた今生から消し去る様な恐ろしき者がたくさん、日々破壊を致しておるようじゃ。私は、親鸞は弘法様などと違い 逃げ惑う者達をいかに安らぎと云うものを与えられる事それのみ。決して皆様方が申すように多大な大きな人物ではございません。貴方様にも親鸞と同様の心を持ち、その心を通じ通し行く事、幸いと存じ上げます。明日なる祭りに弘法様と共にこちらに 」
真然様
「常日頃は高野へ参られる度に真然までもお参り頂き、かたじけなく嬉しゅう心で居ります。本日は我が師の弟子として後をいかに正しく伝える事、間違いを正し曲がらぬ事、それは己の一心なる心、その心を強く持ちて我が師の教えとは到底教え付けぬほどのもの。じゃが、真然、生涯かけ続ける事、それのみ功を制したと思うております。いかなる時も曲がらぬ力、温かき心、欲や邪念を持たぬ心は決して悪には屈しは致しませぬ。
明日の祭りに私もお招き頂きました。我が師と親鸞殿と共に厳粛に受け止めさせて頂きます」
大祭にて 管長より
私はかねてより天神教を正しい信心の場にさせて頂けますよう、昨年は天神教を祓い清め下さった上、神様より天神教へ神子様をお授け下さいました。信心は神様と自分ですが、自分がいくら神様に願い問い掛けても神様の返事は神子を通じてしか聞けません。私にしても信徒の皆様が真の幸せをつかむ為、どの様に信心を教え導いて行けば良いのかと悩んでいると、宗教で一番大切な「天神教の信心(教え)」を神様、御大師様よりお教え頂けました。そして、その結果、神様の御心に添う霊能者が二人、柴山先達と吉沢先達が誕生しました。天神教は気持ち新たに、皆様が心よりの幸せをつかんで行けるように、真の信心を深めて行きます。
お伺い。
結婚とは
以前、離婚した息子に今度は新たに二人の子持ちの彼女が出来たらしいのですが、親は結婚に反対しています。どうしたら良いのでしょうかと云うお伺いに見えました。
神様
「この女子、体が少々弱きが、懸命なる我が子の為、我が生活の為、人の力を当てにせず、良き心構え。そなたの息子はそれを愛しく、子供達を淋しい思いを致さぬよう大きく抱き、見守り、我はいつでも共に暮らしたき気持ちあれど、この女子、今、我が手から外せば、我はもう二度と女子を信ずる事が出来ぬようになるであろう、その子とと。子が二人、もうすでに母が居らずとも息子と共に
なるもの 共に致すほどの者じゃ。ただ息子の心の中には以前の我の のある結婚。それ故、今一つ今度は子のある女子となっては、親が決して良い返事は致すまいと、強く思い込み 。 息子はこの女子の他に二度と出会いがあろうと、結婚は致さぬ。子が居ろうが人生を送るは息子である。親とて心配を致すは我が子なれど。それを封ずる事は出来ぬ。そなたの息子は親を切ってまでこの女子と共に致すべきか悩み抜いておる。息子が歩む人生、子が居ろうが、母が居ろうが、それが幸せと感じる心持てば、それが息子に与えられし今世の行である。息子に申せ。そなたの考え通り、思い通り、自信あらば生きて行くのじゃ。もうすでに親の手より離れし。それにより我もまた奮起致し、その愛しい女子の為、力が湧く。自然なものに逆らう事は悲しみを作るのみ。良き女子じゃ。懸命なる温かき心を持ち、何よりも息子を大事致し、良縁じゃ。何の障害もない。結び付きとは必ず己と同等の者とは限らず、むしろ気の弱き息子にとりては、この懸命なる女子は生涯を賭け、守り行く妻となろう」
人生それぞれの徳分により生き方も変わってくるものです。我が子だけが最高の徳分を持って、生まれて来てる訳ではありません。各人に合った修行をする為に今世に生まれて来てると云う事を忘れると、幸せはつかめません。ここで数多くの心得を私達にも諭してくれて 。
お手伝いさんと台所の皆々様
北海道帯広から溌剌とした元気な茂古沼珠美さんがお手伝いにきて、毎日境内を自分の家のようにきれいに掃除をしていただいています。また本庁の毎月のお祭りの美味しいご馳走を斉藤陽子さん、斉藤珠代さん、吉澤和子さん、吉澤理都さんほか皆々様がお祭りの前日よりお手伝いにきて、ご奉仕していただいています。道元禅師様が唐に渡り老禅師様より、食を賄う行いは心のご修行することと同じであると悟りをされています。皆さんも一緒にご奉仕し見ませんか
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2017-4-24 悩み相談、 実録集を更新
2016-8-16 悩み相談、 実録集を更新
2016-1-17 悩み相談、 実録集を更新
2015-8-27 実録集を更新
2014-2-26 「救われた人々」実例追加
2012-11-14 救われた人々に実録を追加
9:00 ~18:00 (火~金)