2001年12月「たより」

2001年12月号

今年の大祭は遠方から沢山の信徒が集い、厳かに行われました。そして皆様が待ちに待った天心学院に神子様を大神様より授かり目出度く誕生しました。早速、天心学院の大排に際して神子様を介し大神様、御大師様よりお言葉を頂きました。

王滝山頂の大神様

「喜びの日じや。この日を神は長きに渡り待ちかねた。

教祖亡き後、様々な者、悪気を持ち、己のものと致そうとしたこの清き聖なる場所、ここは皆が集まり、心より神に御仏に身を伝える所、我が欲で我が為の場ではない。じゃによって神は裁き、払うた。

この神子は他に居る霊能者とは違う。生を受けし時、生まれいずる時より神子となるべくして落ちたのじや。じゃによって、皆が十年以上かかる行を一年。三年余月人々の為に行を行った。救う数、すくなからず、多勢の者を救うて参った。

じゃが、神が降りし神子を、悪しき者がとりものがついたと、亡き亡霊がついたと言いふらし、清き信心を致す者達を惑わし、心一つに成らず・・・・・。

信心とは一人一人、己、己と神の交流じゃ。神に願うておるのが信心ではない。信心、真の信心とは他が為に奉仕を致し、心清き行を重ね、神に祈りし心、その心を持ちて、信心と云う。それが正しき信心じや。日々、神に御仏に名のられしは、その心正しき、清き、純真なる心が加護を致しておるのじゃ。

本日集まりし者達、良く聞かれよ。神とは決して違う事は言わぬ。神の心、正しく見つめ、正しく信じ、ついて参れ。

この場は本日只今この場より、この神子に降りし神は、教祖亡き後、神子としての代わりじゃ。そなた達の悩み、苦しみ、考え事、神が申し聞かす。決して、愚かな悪気を持つ者達に心惑わされることの無きよう、己の心を正しく持ち、しかとした己自身の信心とはいかなるものか、また、神は常にそなた方集まりし者達、神を信ずる者達、すぐ側に居る。清らかなる心を持ち、これよりこの聖なる地、ついて参れ。・・・‥・王滝山頂の神じや」

2002年11月10日

神様

「やっと一年を経て、心落ち着きし者達。正しきとは何か、清らかとは何か、邪心、邪念とは何かを、魔とは、悪とは何かを各々それぞれに掴み、その心を持ちて、足元を見えるようになられた。信心とは人の多き少なきではない。心じゃ。いかにその心を持つ者が居られるか、持ち続ける事が出来るか。心動ぜず、真の神に対し願う事、我が神に対し持つ心、それにより我もまた日々心地よく、穏やかなる心を持ちて、何事か起こらん事も神が手を差し伸べる。これよりも真の己の信心に努めよ。神に願うは清しき心。神は常に側に居る。手を差し伸べる」

 

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